先日生徒の一人がうつらうつらとしていました。注意はするのですが、なかなか治りません。
時間を止めてこんな話をしました
「いいかい。確かに眠いのはわかるし、体育祭の後ということで眠くなるのは仕方ない。でもね、どんなにしんどかったとしても、それは自分が【選択した】んだと思わないといけないよ。寝た結果、分からなくなった・できなくなったとしてもそれは自分で選んだ結果なんだ。
しんどいことがある、辛いことがある、面白くないこともある、気分が乗らないことがある・もちろん調子が乗らないことだってあるだろう。でも【そんな気分になること】と、【どんな行動を選ぶの】ということを分けて考えなさい。その結果は親でも友達でもなく、すべては自分に返ってくるんだからね」と。
僕も含めて人は自分に甘く弱いものです。しかし、だからといってその弱さを誰かのせいにしたり、自分以外の人のせいにしてほしくない。そんな人になってはいけないと思うのです。
自分で自分の人生を作っていってほしい。そのためには今どんな選択をすべきなのかを真剣に考えてほしいと真に願います。
塾にきて勉強してもいいという与えられた選択肢があること自体がありがたい話です。
だからこそ、「自分で勉強するんだ!」としっかり選択して勉学を身につけてほしいと思っています。
なぜ勉強するのか?(数学講師のつぶやき1)
数学の講師をしているとよく耳にする言葉は「数学って実生活でつかわないよね」という言葉。中には小数の計算なんて使わない!と言い切る人もいます。その言葉の裏には「なぜ数学を学ばないといけないの」という批判めいた思いがあることが多いようです。
確かに、実生活でつかう数字といえば四則演算くらいなもので、sin cos log なんてものはほとんど使いませんし、それを仕事している人はほんの一握りなものです。ある意味その通りと思います。
ですが、そんなこと言いだしたら、古文も物理も使いませんし、英語も人によっては使わない人もいます。もっと言えば、クラブの野球だってバスケットだって社会にでてから使うことはないのです。
じゃあ、なんでスポーツをするのか?ときけば体を鍛えるため、精神力を養うためとおっしゃる方はたくさんいます。
それは、勉強も同じだとおもうのです。
頭を鍛えるため、問題解決能力を鍛えるためです。数学で言えば論理力を鍛えるためです。決して受験勉強のためだけではないと私は感じています。
受験はスポーツでいうところの大会みたいなものです。目標があるからがんばれる。それでいいのではないでしょうか?
合格する(合格させる)ことは当然わたしたちの仕事の使命ではありますが、生徒一人一人にとって大事なことは、その過程(プロセス)の中で人間として大きく成長することです。
ただ問題を解くテクニック、点数をとるための授業ではなく、ひとつづつ考える力がつくよう日々生徒と向き合っています。